
40代も後半にさしかかると、親の介護やその先のことも頭をよぎります。
今、私の頭を占めているのは「お墓」をどうするかな~です。
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お墓はいらない?
私も夫も自分自身の「お墓」はいらない・・と漠然と考えているけど、それぞれの親の墓をどうするのかと考えたら、具体的にどうするのか、まだ何も考えられていません。
今現在あるお墓をどうするのか、お墓をなくすなら遺骨をどうすればいいのか、お墓より前にお葬式はどうするのか、お坊さんはどうするのか、戒名はどうなるのか、そもそも仏式でしたいのか。
見えてくるものがたくさんあります。
親の場合も、自分達の場合も、いざ「その時」を迎えるまでに、考え方は変わるかもしれませんが、今の考えの中でどんな選択肢があるのか、調べたモノをまとめていこうと思います。
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お墓をめぐる私の環境
「お墓をどうするか」は自分の環境によって全く変わってきますよね。
特定の信仰があるのならその流儀に沿えばいいのでしょうけど、私も親も特別に信仰は持っていません。
神も仏も信じない!
・・わけではなく、大いなる何か、「八百万の神」はいつも感じていますが、そのカタチとしての特定の宗教を特別に信仰してはいないのです。
多くの日本人がそうだと思うのですがどうでしょうか。
日本で特別な信仰を持っていなければ、ほぼ自動的に仏式でのお葬式をして、仏式のお墓を建てる可能性が高くなりますね。
先祖代々の菩提寺にお墓があるのか、公営や民営の霊園にすでにお墓をたてているのか、実親がどういう考えなのか、義実家がどういう考えなのか、私の環境を箇条書きにしてみます。
- 私は一人っ子
- 実親は母親のみ。父親は早くに亡くなり、お墓は公営の霊園にある。
- 母親は父方にはノータッチ。父方との縁はほぼ切れていて私が習慣的にお墓参りに行っている。
- 母方は田舎に菩提寺があるがお墓自体は境内ではなく、祖母宅のすぐ近くにある。
- 母は私以上に信仰心はない。死んだ後はどうとでもしてくれと言っている。おそらく本気。
- 母は姉妹が多いので親戚付き合いは密。
- 義父母も健在。菩提寺内に義祖父母の新しいお墓を建立したばかり。
この環境下で私が出来ることを考えてみました。
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お墓がいらないと思う理由
お墓が不要と思う理由は3つです。
- 娘もひとりっこなので、お墓を残すのは負担が重いと考える
- お寺とお坊さんとの距離をおきたい
- そもそもお墓は必要なのか
お墓がいらないと強く意識したのは、夫側のお寺やお墓問題で色々ややこしいことを聞いたからです。
お寺やお坊さんって本当に大金を介したビジネスなんだなと痛感しました。
ビジネスならビジネスでいいけど、お墓やお経、戒名を大金で購入して、それだけの価値があるのかな?
戒名もいらないと思う。戒名がない場合はお墓や納骨はどうなる?
たとえば「安らぎ」などを受け取れるのか?と考えると、形式以外の何も得るものはないなぁと思うのです。
もちろん仏式じゃないお墓もありますね。宗教色のないお墓もあります。
でも、そもそも
大切な人が亡くなった後の「よりどころ」としてお墓は必要なのか?
と何度も考えました。
答えは否です。
習慣としてのお墓参りは何とも思いませんが、たとえ宗教色がないとはいえ、新しいお墓をわざわざ建てる必要があるとは思いません。
お墓がなかったら遺骨はどうするのか?
じゃあお墓がない場合、遺骨をどうするのか考えてみました。
- 永代供養
- 樹木葬
- 散骨
- 手元供養
思いつくのはこれくらいかな?
お坊さんビジネスと距離をおくのであれば、永代供養はなし?
私が一番心惹かれているのは、散骨プラス手元供養です。
あ、供養という言葉は仏教用語ですが、私は仏教自体が嫌なわけではないので問題ありません。
10年ほど前に「千の風になって」という曲が大ヒットしましたね。
千の風になって [ 秋川雅史 ]
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あの曲が生まれる前に、元の英語の詩を読んだことがあります。本屋で立ち読みしていたというのに、涙が溢れ出して止まりませんでした。
Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there. I do not die.
ああ
人は死んだ後こんなに自由になれるんだ
いつでも愛する人のそばにいれるんだ
いつでもそばにいてくれるんだ
心底救われた気持ちになりました。
だから何が書いてあるかわからないお経よりも、(般若心経は好きですよ)あの詩の方が私には尊いのです。
そして、あの詩に一番近い供養方法は散骨って気がします。
散骨に加えて、少しの遺灰を小さな小さな壷にいれて、もしくはアクセサリーに加工して手元においておくのが、私の理想とする供養の仕方です。
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「お墓いらない」を貫けるのか?
まだまだ先のことですが、順番通りならば私が主体となって送るのはまず「母」のはずです。
夫方は夫方で考えてもらい、父方はもしかしたら私が墓じまいをすることになるかもしれないけど、不確定なのでとりあえず棚上げです。
母の時に、私のお墓いらない論が貫けるのかどうか考えてみました。
本人の意思
母の意思は何度も確認しました。
- 田舎の祖父母と(祖母はまだ健在)一緒の墓に入りたいのか?
- もしかして父方のお墓に入りたいのか?
- 仲のよい友達と何か約束などあるか?
もっと色々聞きましたが、答えはNOです。
死んだ後の希望は何もないからすべて私に一任すると言い切りました。
私に負担をかけたくないとかでもなく、弔いは残った人のものと割り切っているようです。
親戚の思惑
そうなると私は一人っ子ですし、私の思う通りに出来そうですが、母の姉妹や親戚達の思惑が怖いといえば怖いんですよ。
罰当たりとか親不孝モノとか言いそうな親戚の顔も浮かんできます。
母方の菩提寺のお坊さんに悪い印象はなかったので、やっぱり世間並みなことはしてあげたほうがいいのかという気さえもしてきます。
でも、将来の管理の問題を考えたらやっぱりお墓はいらないという結論にたどり着くんですよね。
お墓不要のシンプルで、でも想いのこもった弔いを私が母にすることで、私の娘も私達を送るときの参考になるんじゃないか?とも考えています。
もちろん娘には娘の考えを尊重して欲しいですけどね。
親戚が集まったときに母も交えて、私の意思表示をしっかりする必要がありますね。
結論
今時点の結論としてはこんな感じです。
- 母の墓は作らない
- 永代供養もしない
- 遺骨は散骨プラス手元供養
- 早めに親戚達に意思表示
お墓を作らない!と決めたら、お葬式をどうするかも考えないといけません。
次の記事ではお葬式について考えをまとめていこうと思いますので、興味のある方はお付き合いくださいね。